中村勘三郎さんの訃報、本当に驚きました。
きっと舞台に復帰する、また舞台を拝見できると思っていました。
ご冥福を心よりお祈りしております。
初めて勘三郎さんの舞台を拝見したのは、
1999年12月歌舞伎座『籠釣瓶花街酔醒』の次郎左衛門だったと思います。
(玉三郎さんが花魁八橋役)
はじめて自分でチケットを買って歌舞伎を観たのがこの公演だったと思います。
次郎左衛門の「花魁、そりゃあ、ちとそでなかろうぜぇ…」という名台詞、
しぼりだすような声に切なくなりました。
翌年2000年の、十七代目勘三郎追善公演も記憶に残っています。
髪結新三の見事な手さばきに感心し、
『鰯売恋曳網』の猿源氏に大笑いし……。
『鰯売恋曳網』は、大好きな演目でした。
玉三郎さんと勘三郎さんの息のあったコンビは、何度見ても飽きません。
「伊勢の国に阿漕が浦の猿源氏が鰯買うぇ〜い」の台詞、
楽しそうに演じる玉三郎さんと勘三郎さんの姿、大好きでした。
そして、2001年元旦、千葉の九十九里浜で、
勘三郎さんと勘九郎さん・七之助さんが親子連獅子を上演されました。
2000年大晦日は横浜で玉三郎さんのカウントダウン公演を観て、
そのまま、九十九里へ移動し、勘三郎さん親子三人連獅子を観るという
21世紀の幕開け……。
(そうか、その頃はまだ猫がいなかったのか……)
魅力的な役者さんだと思い、その後、コクーン歌舞伎、平成中村座なども観るようになりました。
『夏祭浪速鑑』『三人吉三』『法界坊』『加々見山再岩藤』等々……。
岩藤のラストで、中村座の舞台裏がバーンと空いて、クレーンに乗った
勘三郎さんが現れたのが印象的でした。
『三人吉三』のラスト、3人が折り重なるように死んで、
これでもかというくらいの大雪(紙ふぶき)が舞っていたのも衝撃的でした。
『夏祭』関西公演では、ラストで公園を走り回ったとか、
いつも斬新な演出が話題を呼びましたね。
NY公演も行けるなら行きたくて、日程や飛行機の値段をチェックした記憶があります。
もしかしたら、玉三郎さんの舞台よりも勘三郎さんの舞台のほうが
観劇回数が多いかもしれません。
これを書きながら、勘三郎さんの舞台が好きだった、
もっと観ておけばよかった、と思えて、泣けてきました……。
そういえば、平成中村座に行ったとき、
客席に海老蔵さんがひとりでいらしていたこともあります。
平場席にお座りで、長い足が邪魔そうでした(笑)。
8月納涼歌舞伎もよく見ましたし、
野田秀樹演出の『鼠小僧』『砥辰の討たれ』もよく覚えています。
現代演劇の演出家が演出して、わかりやすく親しみやすく、
そして斬新な舞台になっても、
歌舞伎役者が演じると、ちゃんと「歌舞伎」になっていることのすごさ。
古典、伝統芸能でありつつ、現代の大衆芸能であり続けることのすごさ。
勘三郎さんのさまざまな試みは、歌舞伎役者の底力、歌舞伎の可能性を感じさせてくれました。
そして、歌舞伎役者さんの中でも、勘三郎さんは、特に親しみやすい方でした。
初日・中日・千秋楽に劇場に行けば、奥様の姿も拝見できましたから、
勘三郎さん、奥様、勘九郎さん、七之助さんに対しては、
親戚一家のような親しみを持っていました。
(多くの歌舞伎ファンが同じような思いでいるのではないでしょうか)
今、親戚のおじちゃんが逝ってしまったような寂しさを感じています。
でも、年齢の倍くらい働いて、
たくさんの人に感動や元気を贈り続けて、
疲れきっちゃったのかもしれません。
どうぞ安らかに……
勘三郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
感謝と哀悼の意を込めて……
2012年12月05日
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