2019年06月25日

シネマ歌舞伎 鷺娘

玉三郎さんに惚れたきっかけの演目であり、
玉三郎さんの舞踊でもっとも好きな演目なので、
観ないわけにはいかない、と思って観てきました。

玉三郎さんの美しさは、舞台でも映像でも変わらないのですが、
今の私には、重かったようで集中を欠いてしまいました。
瀕死の白鳥のようだ、と評される演目であり、
鷺娘の臨終の表現がとてもリアルで、
なんだか悲しくなってしまって……。

今日は、動物病院に行き、ヒロミの腸間膜リンパがあちこち腫れていて
リンパ腫の可能性が高いことや、
レオの肺の状態がよくないことがわかり、
予想して病院に連れて行ったとはいえ、少しどんよりしていたところに
鷺娘を見たのは失敗でした。

30年くらい昔に観た、トップガンを突然見たくなったのは、
私の心が欲していたのでしょうねぇ。

ま、しばらくシネマ歌舞伎は玉三郎さん演目が続きますし、
来月は、究極のハッピーエンドと思っている「天守物語」なので
これを観れば、俄然やる気元気が出ることでしょう。楽しみです。

動物病院の待合室で、宮本輝の「流転の海」第7部を読み始めました。
(宮本輝、大好きなんです。流転の海は文庫本を見つけると購入していましたが、
6部を呼んだのが昨年か一昨年でした。昨年、9部で完結していたのですね。
7部、8部と暗転していきそうな模様ですが、
宮本輝作品の傾向からすると、最後の最後で希望・光の見えるような
終わり方になるはず、と期待しています)

その流転の海の舞台は、昭和37年になっていて、
東京オリンピックを2年後に控えている、という時代です。
その時代に、日本で初めて、生理用ナプキン・アンネが発売され、
その新聞広告に、「40年間お待たせしました」とあったそうです。
その広告を見た、中学3年生の女の子が、自分で買うのは恥ずかしいから、と
タクシー運転手の父親に購入を頼み、運ちゃんが、
主人公・松坂熊吾の中年男性に、代わりに買ってきてくれ、と頼みます。

熊吾は、運ちゃんの頼みを聞き、さらにもう1箱
その商品の必要はなくなった妻にも購入します。
そして、日本は、こんなところでも欧米に40年間の遅れをとっていたのか、と
思いを馳せます。

昭和37年の40年前、というと大正時代の終わり。
欧米ではナプキンの使用が当たり前になりつつある中、
日本の女性たちは苦労していたのですね。
戦争中、物資が少ない時などどうしていたのでしょう?
(現代は、本当に恵まれている・有難いと思います)

つい最近、インドで生理用ナプキンの製造・販売を開始した
パッドマンなる男性のことを新聞記事で読んだと思ったら、
トップガンを借りに行った時、その映画もあることも知りました。

その少し前、ツヴァイクの伝記「マリー・アントワネット」を読んだのですが、
処刑の日、彼女は生理中だったということを知りました。
最後に着替えて、汚れた下着を壁の隙間に押し込んで隠す、というところで
とても悲しくなってしまって……。
全盛期はドレスに着替えるのもすべてお付きの方々がしていたのに
最後は下着を隠すことに必死で、貧血で意識も朦朧としていたなんて。
(彼女、子供ふたりと死別、子供ふたりと生き別れているのですよね。
しかも、幼い息子ルイ・シャルルが母親から自慰を教えられたと言っている、と
裁判所で訴えられたという、想像を絶する苦痛も味わっていたのですね。
ベルばらでは、こういったところは描かれていなかったよなあ、と思います。
そういや、ツヴァイクの伝記でもその後読み直した遠藤周作の小説でも、
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という名セリフは出てこなかったぞ。
あれは、ベルばらの創作だったりするのかしら? ベルばらも読み返したいな)

パッドマンがナプキンを製造しようと思ったきっかけも、
妻が何か汚れ物を隠すのを見つけて、
それは何だ、と問い詰めたところだったような記憶があります。
(今度、映画も見てみよう。暗い話ではなさそうだし)

女は悲しい。
鷺娘も清姫も、恋に死ぬ女性の話ですが、
恋心がある限り、心も体も血を流し続けるのだな、と……。

生まれ変わっても女なのだとしたら、
私は雌猫に生まれ変わりたいです。
なぜならば、猫には生理がないから!
(犬にはありますが、猫にはありません)
現代の女性が昔より恵まれているとしても、
雌猫、超マジ羨ましいっす。

……なぜ、鷺娘がこんな話になったんだ!?

【追記】
鷺娘で娘が瀕死の鷺になる直前と、
日高川で清姫が蛇になる直前、
衣装を肩脱ぎして、真っ赤な長襦袢になります。
そこから、衣装がぶっかえって、
鷺の白い羽と蛇の白い鱗になるのですが、
その場面ふたつを、今、鮮明に思い出し、
このふたつの演目を同時上映した意味を悟ったように思います。

燃えるような情念、怨念、心に流れる血が、
白い羽や鱗で覆いかくされ、
浄化されていく、といったところでしょうか。

今日の私には、重かったとはいえ、
観てよかった。
今度、女の子を残す時、
清姫の名前をつけましょうかね。

posted by RIEN at 21:33| 東京 ☀| Comment(0) | 女中(RIEN店長) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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