2019年07月12日

イリカ永眠しました。

7月11日23時半頃、イリカ永眠しました。
16歳3か月でした。

4月からのどの異変で通院を継続してきました。
鼻水がひどいので、6月25日に感受性試験(培養検査)を行ったものの、
細菌マイナスと出ました。
その時は体重が2.6キロくらいはあったと思います。

7月9日、あまりに軽いと思い、体重を計ったら2.2キロ。
食欲はあることはあるけれど、すぐに食べるのをやめてしまう状態でした。
ベッドやハンモックにいれても、すぐに出てしまい、
身体を伸ばして寝ている様子も気になっていました。
病院に連れて行きましたが、貧血がある(ヘマトクリット21%)以外は、
腎機能、肝機能なども問題なく、
鼻水を顕微鏡で見ても、細菌と好中球が少し出ている以外
変な細胞はないとのことで、何らかの感染症だろうとのこと。
一度、鎮静か麻酔をかけて、きちんとのどを見たうえで
感染症としての治療をしていったらよいだろうとのことで、
最短で7月14日なら麻酔をかけての診察、場合によっては
のどの穴を縫う処置までしましょう、ということになりました。

その夜、院長先生からお電話いただき、14日まで待たせるのは
イリカがかわいそうだから、10日の夜に麻酔をかけてみようかと思う、と
ご提案をいただきました。
10日の午前中から、点滴と輸血をして状態を改善しつつ、
夜になったら麻酔をかけて診察していただくことになりました。

10日の夜、22時過ぎに院長先生からお電話いただきました。
(予定がめいっぱいだったところに、イリカの処置をしていただいたのでしょう)
・のどの奥の穴が広がった部分は、予想より広がっていた。
・のどの奥から鼻腔を見ると、ただれていて、膿がひどかった。
 おそらく腫瘍だろう。膿は可能な限り洗い流した。
・膿を顕微鏡で見たところ、リンパ球はあまりなく(リンパ腫の可能性は低そうだ)、
 扁平上皮細胞のようなものが見えるように思う(扁平上皮癌の可能性が高そうだ)
・のどの穴はできる限り縫ったが、おそらく違和感が残って、
 今後は自分から食べることはないだろう。
 経鼻カテーテルで栄養補給をすることをお勧めする。
 (それがいやなら、食道を切開してカテーテルを入れる方法もある)
・カテーテルで栄養補給をした場合の余命は、1年まではいかないと思う。
 (扁平上皮癌だと仮定すると、転移はあまりしないと思う)
というご説明でした。

11日、休診日でしたが、当直の先生からお電話いただきました。
・輸血をしたので少し元気になったように思う。ヘマトクリットも27%まで上昇した。
・ただ、血糖値が低く、30くらいで、ブドウ糖を飲ませたあと90くらいにあがっても
 2時間したら50まで下がってしまった。原因がよくわからない。
・一度会いに来ていただき、諸々説明した後、帰宅して様子をみてもらっていいと思う。
とのことで、午後に病院に行きました。

・呼吸がとても速いのが気になり、レントゲンを撮ったが肺はきれいで、
血中の二酸化炭素濃度も正常なので、呼吸器の異常ではなさそうだ。
・ただ、腸にガスがたまってパンパンになっているのが気になる。
というご説明がありました。

イリカに会ってなでると、起き上がって、キョロキョロして、
私だとわかると、とても嬉しそうな仕草を見せてくれました。
今まで、そんなにテンションがあがった状態はなかったそうです。
そうか、おうちに帰ったら、もっと元気になるかもね、と
血糖値をこまめにはかって、a/d缶やブドウ糖をこまめに補給して
様子をみることにして、連れて帰ろうと思いました。

が、キャリーバッグに入れようとしたとき、
手足が妙にこわばっていることと、呼吸が早いことが気になりました。
自転車で連れて帰ったら、家までもたないような気がして、
閉店後に、あらためて車で迎えに来ることにさせていただきました。

迎えに行く前、病院に電話して様子を伺うと、
私が面会に行く前と変わらない印象で、
ただ、やはり、ブドウ糖を飲ませても2時間で血糖値が下がってしまうとのこと。
(糖尿病でインスリン注射をしている子が低血糖を起こした場合でも、
ブドウ糖を飲ませて復活すると、その後は状態が維持されるので、
2時間で血糖値が下がってしまうのは異常で、おそらく、
恒常性維持機能がバランスを崩してしまっているのだろう、とのことでした)

病院で預かっていただいた場合、ブドウ糖を飲ませる以外に
可能な処置はあるのか、と伺うと、
点滴でグルコースを入れ続けるという手段があるとのこと。
点滴をやめたら、また低血糖になりそうな気もしましたが、
点滴をしているうちに恒常性維持機能が回復するかもしれない、と思い、
とりあえず一晩、グルコースの点滴をお願いすることにしました。
当直の若い先生が、「全力で看病します」とおっしゃってくださいました。

そして、23時半頃、当直の先生から電話がありました。
状態が急激に悪化し、心臓マッサージを始めたところだと。
すぐに行きましたが、イリカの心臓の動きが再開することはありませんでした。

病院で面会したとき、イリカが見せてくれた、嬉しそうな仕草を
私は一生忘れられないでしょう。
あれは、イリカのお別れの挨拶、感謝、愛情、そんな諸々が詰まった
最後の私への贈り物でした。
最後の最後まで、愛情深い、優しい、親孝行な子でした。
イリカと過ごした16年、私も本当に幸せでしたし、
周りの猫たち(特に揚巻)、子猫たちも幸せだったことでしょう。
みんなに愛された子でした。
イリカ、うちに来てくれて本当にありがとう。

さよならの挨拶もさせてくれなかった誰かさんに、
恨み言を伝えてもらいましょうか。
その誰かさん、虹の橋の向こうで赤ちゃんを産んでいたら、
今頃、歯が生えてヨチヨチ歩きをはじめる頃です。
イリカ、喜んでお世話するのでしょうね。
みんな、まとめて生まれ変わっておいで。
posted by RIEN at 22:23| 東京 ☁| Comment(3) | ケイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とうとう虹の橋を渡ってしまいましたが・・・
寂しい。

初めてイリカに会ったのは中野のアパート時代。
たぶんアンを見に行ったときだったかなあ。まだ外からの持込荷物に関して厳格なルールがなく、玄関口においていたら、イリカが自分のリュックの上に座り、それを見た渡部さんが急いで引き離したものの、何とも言えないアンモニア臭をプレゼントしてくれた思い出があります。

(失礼ながら)独特の模様で、ノルです!と言われない限り分からない彼女が大好きでした。いつ行ってもほわ〜んとした雰囲気を持っていて、近寄ってこないけれどこちらから寄って撫でるとご機嫌になって・・

お気に入りツートップがいなくなり、名前と顔が一致しないコ達が増えて、少しずつではあるが初期RIENの風景がおぼろげになっていること時間の経過を感じます。早いなあ
Posted by 胡桃餡ぱぱ at 2019年07月15日 13:13
ラケルが赤ちゃんだった頃、イリカおばちゃんにお世話になっていた姿を思い出します。揚巻母さんよりイリカおばちゃんの方がお世話役をかってでてくれていたように見受けられました。寂しくなりますが、イリカちゃん&渡部さんの上に、平安がありますように!
Posted by Ange at 2019年07月15日 14:12
胡桃餡ぱぱさん、コメントありがとうございます。

中野にいたのは2007年までなので、12年、干支1周の
年月が過ぎてしまったのですよね。
ほんとに早いものです。
私推定のノルの平均寿命は12〜13歳と思うので、
イリカは十分長生きしてくれたと思います。
ラン、レオ、胡桃餡きょうだいも長生きですよね!

Angeさん、コメントありがとうございます!

ラケルちゃんは2006年生まれでしたよね。
なんと長い間、イリカは他猫の子を育ててくれたのでしょう!
立派な保母猫でしたよね。
ラケルちゃん、長生きしてね〜!
Posted by RIEN at 2019年07月17日 16:54
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