2019年09月07日

近況

たくさんの方に、私の母のことをご心配いただき、
ありがとうございます。

腫瘍マーカー含め、いろいろ検査をした結果、
身体的にはどこにも悪いところなく、健康優良婆でした。
本人は、その結果にガッカリした様子で、
(その気持ちはなんとなくわかる)
気力がない、気力がないと、寝てばかり。
1〜2か月、抗うつ剤を飲んでみたほうがいいのでは?という提案を
ようやく聞き入れてくれて、先日精神科で薬をもらってきました。
過去には、もっと重度の躁鬱を繰り返していたことを思うと、
今回は軽度なほうだと思います。

ショックだったのは、私がお世話になった精神科の先生が
東大の助手になって、その病院からいなくなってしまったこと。
(昨年の夏〜秋に、暑さで通うのが辛くなってなんとなくやめてしまった)
私自身が今度調子を崩したとしても、東大病院に行くほどじゃなさそうだし、
でも、あんなにテキパキしていて、ついていけば治りそうな気にさせてくれる、
精神科医のお医者さんってあまりいないからなあ。とても残念。
まあ、使う薬がわかっていて、入院させてくれる病院があれば、
それでなんとかなると思うのですが。

母は、私が実家で家事をしていると、なんとなく周りでウロウロしたり
手伝ってくれたりしているので、一緒にやっているうちに
以前のような状態に戻ってくれるんじゃないかなあ、と思います。
(3月までテニスして走り回っていたんですからね)
寝てばかりいたら、そのうち、認知症に移行してしまったり、
足腰が弱ったりしてきそうなので、少しでも一緒に動く時間を作りたいと思います。

が、何といってもうちと実家が遠いので、通うのが大変。
父も母も、「大変だからもう来なくていい」というのですが、
行かなかったら寝たきりになっちゃうじゃないか〜。

先日、アルくんをお届けに行った際に、
パピヨンの茶白の小柄な女の子がいて、
その子がおとなしくてすごくかわいかったのです。
母は、もう犬はいらない、というのですが、
道で拾ったとかいって、パピヨンを押し付けてこようかな。
(父も妹も犬を迎えることに賛成)
たぶん、犬よりうちの両親のほうが長生きすると思うし。

ノルの子猫探しも継続中ですが、来年子猫が生まれたら譲ってくれるはずの
ブリーダーさんが、その子猫の父親となるべき男の子を見つけた、と
連絡をくれました。
7月生まれの男の子を、明日見学に行くんだ、といって、
その男の子の写真や血統書のURLを送ってくれました。
私もその男の子が気に入ってしまって(私がほしいくらい)、
まだ生後2か月にもならない子猫の、将来の子猫が楽しみになってきました。
母猫たちもみんな美人なので、誰の子猫でもきっとかわいい。

もうひとり、上記とは別のブリーダーさんで、
上記とは異なる血統の親猫たちを持っている方を見つけました。
連絡をとったところ、私の猫の血統書を送れとか、
(近親交配にならないかチェックしたい、というので、
他のブリーダーさんから譲っていただいた子の血統書を全部スキャンして送った)
うちの猫たちの生活環境の写真を送れ、とか矢継ぎ早に質問やリクエストをしてきて、
家が狭いとか、庭がないとか、そんな理由で断られるかなあ、と思ったのですが、
来日経験のある方で、日本の住宅事情を理解してくださる方でした。
そのうえ、ドイツの日本大使館のようなところに自分で連絡をとって
日本の検疫システムのことを調べて、
「読んでおきなさい」と日本の検疫所のURLを教えてくれました。
こちらからの一番最初のメールに、日本の検疫の概要を書いて、子猫が生まれたら
具体的な書類、狂犬病ワクチンの時期や種類を説明しようと思っていたのですが、
すばやいお方だ……。
(最初にコンタクトをとってから1週間たっていない)

何人かのブリーダーさんにメールしてみましたが、
返事がこないことも、さまざまな理由で断れることも多く、
勘三郎に頑張れるところまで頑張ってもらったら、
それでブリーダーもおしまいかな〜とも思っていたのですが、
もしかしたら、来年〜再々来年に2〜3頭迎えることができるかもしれません。

母が復活して、次世代の猫を迎えることができるなら、
もう少し、ブリーダーを続けたいなあ、と思いますが、
どうなることやら、です。

今年は運気が低迷しているな、と思っていたし、
動物病院の院長先生からも「お祓いに行け」と言われていましたが、
ドン底は越えた……ような気がしています。そうであってほしい。

最近読了した、宮本輝の「流転の海 第八部 長流の畔」のあとがきに
こんな文章がありました。
「どこが始まりでどこが終わりなのかわからない長い長い川の畔を旅していて、
疲れ果てて倒れこんでしまう時があっても、そこには毒虫もいれば菫(すみれ)も咲いている。
そのどちらと出会うかは、「運」ではない。「意思」である。
累々たる死と失敗と挫折は、それらを乗り越えるごとに、
源が遠ければ遠いほど流れは長いことの証となる。
流れのはるか彼方の、目に見えない未来で待つ生が燦然と輝くであろう証である」
それこそが、「流転の海」で書こうとしたことだと書かれていますが、
他のどの作品にも、その考えは根底に流れていて、
どの作品を読んでも、読後に希望が湧いてくるのですよね。

毒虫と菫、どちらに会うかは、運ではなくて意思。
意地でも菫を見つけるぞ、という強い意思を持って生きたいものです。

posted by RIEN at 21:20| 東京 ☁| Comment(0) | 女中(RIEN店長) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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