今朝、桜並木を歩いている時、
「贋作・桜の森の満開の下(野田秀樹作)」の
屋根の上の場面がよみがえってきた。
戯曲から抜粋してみる。
夜長姫 暑い日にね、人を見ているの。みんなしかめ面をして歩いている。
けれど、突然、俄か雨が降ると
『いやあ、まいった、まいった』って言いながら、
ニコニコして、雨宿りしているのが見えてくるの。
耳男 それで?
夜長姫 少しも、まいってはいないのよ。だのに『まいった、まいった』っていうの。
耳男 なぜでしょう?
夜長姫 それで、あたし、みつけてしまうの。
耳男 なにを?
夜長姫 人は俄か雨とか戦争とか突然なものが、大好きだっていうこと。
耳男 雨宿りと防空壕は違いますよ。
夜長姫 でもきっとそこではときめいているのよ。
そういうことってない?
耳男 オレもあります。
夜長姫 あるでしょ? わからないうちにときめいていることって。
中略
耳男 オレの場合は、いつも、桜の森の満開の下です。
こわいのだけれどときめくんです。
頭の上からバクダンでも落ちてくるような
すさまじい音が聞こえてくるようで。
夜長姫 それでいて、物ひとつしないんでしょ?
耳男 ええ
この「桜の森の満開の下」がどういう場所かというと、
物語の最初の部分で、耳男が
「花の下は冷たい風がはりつめて」いて「花の下は涯(はて)がなく」て、
「そこでは、ゴウゴウ風が鳴っていて」いて
「それでいて、ひとつも物音がなくてね、
おれの姿と足音ばかり、それがひっそりと冷たい、
動かない風の中に包まれて、ぽそぽそ散る花びらのように魂が散って、
いのちが衰えていく。目をつぶって、
何かを叫んで逃げたくなる」ところだと語っている。
そして、最後の場面は桜の森の満開の下で耳男がひとり座り、
「この桜の木の下からどこにもまいらず、
けれどどこにでもいけるおまじない」をつぶやいて幕となる。
坂口安吾のいくつかの作品をベースにしているということだし、
先の戦争のことを描いているのだなあ、と漠然と思っていたけれど、
今現在、私たちは桜の森の満開の下にいるのだと思った。
東京、日本、世界が、今まで経験したことのない状況になっていて
毎日ニュースやSNSを見て、不安や焦りが大きくなって……。
先を予想することが誰にもできず、
今後どうやって生活や仕事を続けていいのかわからない。
自分や家族だって命の危険にさらされている。
私も怖い。
でも、もしかしたらどこかでときめいているかもしれない……。
それなら、ニコニコ笑って
「いやあ、まいった、まいった」とつぶやこう。
どこにもまいらず、どこにでも行けるおまじない。
シネマ歌舞伎版の「贋作・桜の森の満開の下」どこかで放送してくれないかな……。
劇場も映画館も行かれない今、
過去のシネマ歌舞伎全部見られるようなサービスしてくれたら
有料でも毎日何か見るよ。
2020年03月31日
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