2020年12月21日

2020年12月のアップル

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アップルを見ていると、祖母のグロリアちゃん、
曾祖母のリンダを思い出します。
カラー、目の大きさや形、すらりとした手足、
とても似ています。

同時に、帝王切開した後辛そうだったグロリアちゃん、
執刀してくださった院長のすばやい手つき
蘇生を頑張ってくださった看護師さんたち
4にゃん生まれて数日で旅立ってしまった赤ちゃんのことも
思い出されます。
旅立ってしまった子は、蘇生するにも時間がかかり、
唇の色なども悪く、院長先生も心配されていたのでした。
亡くなった子にもグロリアちゃんオーナーさんは名前を付けてくださいました。
りんごの品種から、ちなつと名付けてくださったと思います。
(きょうだいもりんごの名前、はるか、北斗、黄明と仮名をつけていただきました)

今検索してみたら、ちなつはあかねとスタークアリエストを交雑して育成した、
極早生の赤色リンゴ種で、着色がやや不良、とありました。
以前、赤ちゃんに美しいけど弱い青薔薇品種ルシファーと仮名をつけた時
誕生数日で亡くなったしまいました。
ジョン・レノンと名付けた子もFIPで早逝してしまいました。
子猫の仮名には強い名前をつけねば……。

リンダは、扁平上皮癌で顎関節〜歯が侵され、
今まで唯一院長先生が安楽死を勧めた子です。
口があかなくなり、いよいよ食べることができなくなって
安楽死を決意したのが、桜新町物件を契約した2014年6月13日でした。
(猫の命日まではあんまり覚えていないのですが)
院長先生が、「新居はこの子が見つけてくれたんだね」と
おっしゃったことが忘れられません。
その時、新人だった看護師さんが目に涙を浮かべていたこと、
彼女がリルケの扁平上皮癌の手術時、
院長先生の手元を照らすライトを調整し続け、
翌日亡くなった時も最後の処置等をしてくださいました。
彼女も昨年春に退職されました。

看護師さんで一番長くお勤めされていた方も
今年の春に退職されました。
彼女は、イリカの手術の翌日の当直で、
私が面会に行ったとき、「渡部さん来たらすごく動いてます。
嬉しいんだと思います」と言ってくださって、
その日の夜にイリカ旅立ってしまったのでした。
彼女にきちんと御礼も言えてなかったのですが、
先日、子猫の見学会の時に突然来てくださって、
「渡部さんにちゃんとご挨拶したかった」と……。
私もお話できて本当に嬉しかったです。

等々力〜桜新町の間、12年ほどお世話になった病院で、
院長先生だけでなく、獣医さん方看護師さん方には
本当にお世話になったなあ、と改めて思います。
ワクチンや健康診断はともかく、辛い気持ちでいるときに
看護師さんたちの明るさ、優しさ、笑顔にはずいぶん助けられました。
よい病院に出会えたことは、私と猫たちにとって幸せなことだったと思います。
今もRIEN出身猫たちが複数お世話になっていますし、
那須の病院でどうにもならないときは、お世話になるでしょう。

亡くなった子たちを思い出すと、みんなを那須の家に
連れてきてあげたかったなあ、と思います。
(まだお外に行かれるようになってませんが)
亡くなった時のこと、元気だった時のことなど
あれこれ思い出しますが、色柄も顔立ちも性格も全然違う子たちが
お骨になるとみんな同じ、白い塊であることも思い出されます。

生きることの本質は、死を見つめることなのかもしれないと思います。
お骨になればみんな一緒なので、命あるときに何ができるかが大切で、
身近な人間やペットが亡くなる時に、そのことを教えてもらえるのだと思います。
愛する人や猫が亡くなった時の悲しみが大きければ大きいほど、
それそのものが生きている証であり、自分の命の重みでもあるのではないでしょうか。
亡くなった後、思い出してくれて、悲しみを感じてくれる人がいる限り、
死者はたしかに存在していたということでもあります。
生者の記憶の中で死者はまだ生きている、とはよく言われることですが、
それをしみじみと実感する今日この頃。

那須に連れてくることができた子たちは、
せめてウッドデッキが完成するまでは元気でいてもらいたいです。
posted by RIEN at 14:05| 東京 ☀| Comment(0) | アップル(苅屋姫) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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