9月12日12時55分に揚巻が永眠しました。
17歳3か月でした。
腎不全とリンパ腫(疑)闘病中で、
ラプロス、プレドニゾロン(ステロイド)、ロイケラン(抗がん剤)服用し
ずいぶん頑張ってくれましたが、最期は2キロを切っていました。
水下痢がひどく、獣医さんからは薬で治すのは無理なので、
食事でなんとかしましょう、と処方食のサンプルをたくさんいただきました。
貧血と脱水もひどく、10日ほど毎日補液しましたが、
皮膚がつかめず針を刺すのも一苦労でした。
数日前まで、爪とぎしたり椅子にジャンプしたりできていました。
亡くなる前日まではa/d缶を食べていましたが、
歩くとふらつき、お気に入りの場所にジャンプすることもできなくなりました。
12日の朝はごはんを食べず、トイレに立つこともできなくなりました。
いよいよだな、と思い、その日はリフォームのお手伝いを休ませてもらいました。
お昼頃から、呼吸が浅くゆっくりになりました。
お昼頃は、名前を呼ぶとエアニャーでお返事してくれましたが、
12時半には、エアニャーもできなくなりました。
その頃から、私の膝に乗せてずっと撫でていました。
でも、名前を呼ぶとシッポでお返事してくれました。
12時45分頃にはシッポも動かせなくなりました。
12時50分頃にはまばたきができなくなりました。
12時55分、深く息を吸って息を引き取りました。
苦しまず、おだやかな最期だったと思います。
コロナ禍以降、ずいぶんたくさんお別れしてきましたが、
イネスもレオもランも蛍火も小栗も富姫もマカロンも
ちゃんと看取ってあげられませんでした。
朝起きたら旅立ってた、という感じで……。
揚巻は、次第に体重が減って、できることが減って
私に心の準備をさせてくれたうえ、
私が起きている時間、少し余裕のある日を選んで旅立ってくれました。
なんて親孝行な子なんでしょう。
13日、14日は電気屋さんたちが来てバタバタだったので、
ゆっくりお別れができる12日を選んでくれて助かりました。
コロナ禍以降、猫が亡くなっても悲しいと思う余裕がありませんでした。
揚巻の死はとても悲しいです。久々に涙がこぼれました。
イネスとレオとランと蛍火と小栗と富姫とマカロンの分も
悲しくなって、涙が次々とこぼれました。
揚巻と桜姫は、我が家で生まれた子猫を初めて残した、
思い入れの深い子たちです。
桜姫と揚巻という名前にも思い入れがあります。
歌舞伎俳優・玉三郎さんのなさったお役の中で、
桜姫、揚巻、富姫、蛍火が特に好きです。
これらの名前は、いずれ2代目を名付けようと思います。
揚巻のいない梨苑なんて寂しすぎます……。
カフェの再開を祝した揚巻の万歳が見られないことも寂しいです。
ただ、先月、広々としたウッドデッキで、揚巻と一緒にビール飲むことができました。
揚巻も夕暮れ時の風に吹かれて気持ちよさそうでした。
とても悲しく、寂しいですが、日々忙しいので気がまぎれて助かります。
先月、地元の銀行さんがリフォーム代希望額を全額融資してくれまして
無事にLOYDさんにお振込みできました。
急ピッチでリフォーム進めていますので、
秋にはカフェ再開できるよう頑張ります。
寂しいです。でも17歳と長生きし、最後、穏やかに膝の上で安心して過ごしながら旅立っていったのだろうと思っています。
愛され、大事にされ、幸せな猫生だったことでしょう。
娘のラケルもいつのまにかシニア世代になりましたが、長生きして欲しいなぁと願っています。
揚巻のたったひとりの娘、ラケルちゃんには、
揚巻の分もたくさんたくさん長生きしてもらいたいです。
目指せハタチ!!