2022年05月09日

ドライブ・マイ・カーとワーニャ叔父さんとトリコロール青の愛と。

途方に暮れつつ日々を過ごしているのですが、
すこし前に見てつまらないと思った映画「ドライブ・マイ・カー」が
突然、意味を持って胸に迫ってきました。
最後の場面の、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」のセリフが
ありありとよみがえり、全編を通して、「ワーニャ叔父さん」の
セリフが散りばめられている感じだったので、
戯曲を買って読みました。

村上春樹氏の「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」も
読み、ビートルズの「ドライブ・マイ・カー」の歌詞の和訳も読みました。
そして、もう一度、映画「ドライブ・マイ・カー」を見ました。

最初、あんなにつまらないと思ったのに、
脚本賞を取ったこと、心から納得できました。
和歌には、「本歌取り」という手法があります。
先行する和歌の一部を真似・引用しながら、
独自の世界を創り上げるものです。

映画「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹氏の短編や
ビートルズの歌詞を使いながら、
チェーホフの「ワーニャ叔父さん」の世界を
劇中劇の形を使いつつ、さらにそれを多国語で演じる、という
滅茶苦茶手のこんだ形で本歌取りし、
ビートルズ、村上春樹、チェーホフの世界を混然一体としつつ
新たなメッセージを創り上げています。

好きな小説が映画化された時、私は失望することのほうが多かったです。
「ビルマの竪琴」「敦煌」「風と共に去りぬ」etc……。
でも、映画「ドライブ・マイ・カー」は、
小説の映画化でもなく、チェーホフの戯曲の映画化でもなく、
浜口監督独自の作品だと感じました。

野田歌舞伎の「桜の森の満開の下」を観てから
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読み、
改めて、野田歌舞伎の「桜の森の満開の下」が素晴らしいと思ったのと
同じような感動です。

チェーホフの「ワーニャ叔父さん」は、姪のソーニャと叔父のワーニャは
共に失恋の辛さを乗り越えて生きていきましょうね、となります。
ソーニャが恋する医師とワーニャは、同じ人妻エレーナに恋をします。
エレーナは、ソーニャの父の後妻です。
ワーニャとソーニャーの母(先妻)と兄妹です。
ロシアの人名と人間関係の把握が最初面倒でした。

村上春樹氏の「ドライブ・マイ・カー」では、
運転手の渡利みさきの不器量と、ソーニャの不器量を重ねる程度にしか
チェーホフは用いられていません。
が、映画では、ほぼ全編に、「ワーニャ叔父さん」のセリフが散りばめられ、
最後は、韓国手話でソーニャが語ります。

「でも、仕方ないわ、生きていかなければ! 
ね、ワーニャ叔父さん、生きていきましょうよ。
長い、果てしないその日その日を、いつ明けるともしれない夜また夜を、
じっと生き通していきましょうね。
運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱強く、じっとこらえていきましょうね。
今のうちも、やがて年をとってかからも、
片時も休まずに、人のために働きましょうね。
そして、やがてその時が来たら、
素直に死んでいきましょうね。
あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか
どんなに涙を流したか、
どんなにつらい一生を送ってきたか、
それを残らず申し上げましょうね。
すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。
その時こそ、叔父さん、あなたにも私にも、
明るい、素晴らしい、なんともいえない生活がひらけて、
まあ嬉しい!と、思わず声をあげるのよ。
そして、現在の不仕合わせな暮らしを
なつかしく、ほほえましく振り返って、
私たちーほっと息がつけるんだわ。
わたし、ほんとうにそう思うの
(神西清訳・新潮文庫より」

ワーニャとソーニャの辛さは、失恋です。
でも、映画の中の家福とみさきの辛さは、
助けられたかもしれない妻や母を
「自分が殺してしまった」と思う罪悪感や後悔や喪失感です。
失恋の辛さと家族を亡くす辛さと、甲乙つけがたいとは思うものの、
「私が殺した」という気持ちは、本当に辛いものがあります。

先日亡くした、私の猫の勘三郎ですが、
解剖の結果、悪性腫瘍の可能性もあるものの、
炎症性肉芽腫の可能性が高い、という診断でした。
肉芽腫になるに至るには、長期間尿道に炎症があったはずで、
炎症があれば、なんらかの症状、頻尿などがあった可能性が高い、と。

その時点で病院に行っていれば、勘三郎は命を落とさなかったかもしれない。
勘三郎はマーキングの激しい子だったので、
頻尿に気付けというのは難しい。
けれど、もっと注意深く観察していれば気付いたかもしれない。

血尿が出た時点で、様子見をせず、那須のかかりつけ
もしくは世田谷のかかりつけに行っていれば助かったかもしれない。
でも、その日、那須のかかりつけ医は、コロナワクチンの日で、
仮にもっと早く連絡をしていたとしても、
「これからワクチンだ」と言われたら、私は遠慮して
近所の病院を探しただろう。血尿くらい、膀胱洗浄くらい、
どこの病院も同じだろう、と思って。
そして、歯石用超音波を使われて尿道が痛められ、
その後の会陰形成手術が難しくなっていた……かもしれない。
勘三郎の肉芽腫ができていた位置は、
尿道球腺と膀胱の間で、会陰形成手術も難しかったかもしれない。

血尿くらいでは、わざわざ那須から世田谷まで行かなかっただろうし、
その段階で、世田谷の病院に相談をすることもなかっただろう。
仮に相談したとしても、院長先生は、利き手を骨折していて
オペができない状況だった……。
血尿が出た翌日からは、世田谷の病院はGW休暇で、
病院に電話しても連絡がとれなかったかもしれない。
(それをわかっていて、私は院長先生にメールで報告をした)
仮に院長先生がオペできたとしても、スタッフが足りなかったかもしれない。

どうやっても、勘三郎と私の運命はそこまでだった、と思う。
どうしようもない運命だったのだろう。

早く気づけば助けられたかもしれないことは、
出産を1週間後に控えた小町が、
おなかの4頭の赤ちゃんと一緒に
突然死んでしまった時も同じ。
あんなに悲しい死は、おそらく今後もないと思う。
あんなに悲しい死を経験しているのに、
映画ドライブ・マイ・カーを最初に見たとき、
私はつまらないと思ったわけで、
つまらないと思ったこと自体が、ある意味幸せだったのだと思う。
小町の罪悪感から、すでに解放されていたのだから。

映画「ドライブ・マイ・カー」に戻ります。
途中、車のサンルーフから、主人公のふたりが
手にもったたばこを突き出すシーンがあります。
そこで、似たようなシーンを見たような気がして考えました。
四半世紀以上前の映画「トリコロール 青の愛」の冒頭でした。
冒頭で、主人公ジュリー(ジュリエット・ビノシュ)は、
交通事故で夫と5歳の娘を失います。
その事故の直前、車の窓から、お菓子の青い包紙が飛んでいきます。
そのシーンを思い出したのでした。

ジュリエット・ビノシュは、当時私が一番好きな女優で、
髪型やファッションを真似たりもしていました。
ショート・ボブで、ざっくりしたオフタートルのセーターにスパッツとか
ジーンズにロングコートといった着こなしがとても素敵で。
愁いを帯びた美貌も、本当に素敵でした。

トリコロール・青の愛は、
作曲家の夫の未完の曲を、妻が完成させる、というストーリーしか
覚えていなかったのですが、改めて見ると、
もっと重くて、映画「ドライブ・マイ・カー」にも通ずるものがありました。
もしかしたら、浜口監督も、影響を受けたかもしれません。
細かすぎて伝わらないようなディテールに凝るところとか。

どちらも、伴侶が浮気をしていたことも共通で、
トリコロールのほうは、ドライブ・マイ・カーより強烈で。
浮気していた伴侶が突然死んでしまうのと、
突然死んでしまった伴侶が、実は浮気していて、
その相手が妊娠していることがわかったのと、
どちらが衝撃だろうか……。

そんなことと比べると、私の不注意で、猫1頭失ったくらい、
たいしたことはない……かもしれない。
けれども、途方に暮れていることは変わらず。
とはいえ、前に進むしかないわけで。
自分に与えられた仕事をするしかないのです。
淡々と粛々と。

結局、私は、私たちは、どんなことがあっても仕事をしなくてはならないのです。
仕事をすることだけが、私を、私たちを救うのでしょう。

ワーニャ叔父さんも、映画ドライブ・マイ・カーも
映画トリコロール青の愛も、今の私には、
同じメッセージを投げかけてくれました。
そして、小説を読んだり映画を観たりブログを書いたりできるだけ、
私は落ち込んでもいないのです。たぶん。
本当にダメな時は、食べることも起きることもできず
暗いところで寝ているだけだったので。
起きて、食べて、読んで、観て、と、生活をできているのだから
きっと私は大丈夫なのでしょう。
これも年の功。

posted by RIEN at 18:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 女中(RIEN店長) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック